さいたまでとうがらし?~
農福連携 スパイシーな挑戦
2025年1月9日 17時31分
皆さん、辛い食べ物は好きですか?
私は中国の四川料理が好きで、額から汗が流れるほどの辛さのマーボー豆腐が大好物だ。
そんな私がさいたま市でとうがらしを栽培しているという情報を耳にしたことをきっかけに今回の取材は始まった。カメラマンとして収穫の時期を迎えているとうがらし畑を撮影したいと考えていたが、取材を通じて見えてきたのはさいたま市で始まったスパイシーな挑戦だった。
(さいたま局カメラマン 唐澤宗彦)
とうがらし畑は見沼たんぼに
さいたま市緑区周辺に広がる「見沼たんぼ」。
江戸時代には一面に水田が広がっていたそうだが、今は畑や公園なども広がっている。川沿いにあるため湿度が高く、里芋のほか梅や桜などの庭木が多く栽培されている。
この見沼たんぼにとうがらし農場があると聞き、私はまずその映像を撮影することにした。
2024年10月下旬の午前6時前、息が白くなるほどの寒さの中、見沼たんぼを見下ろせる橋の上で待っていると、夜明けとともに川から立ち上る朝もやが眼下を覆っていく。
この場所は写真愛好家にも人気のスポットだという。幻想的な風景を撮影したあと、私は畑へと向かった。
およそ40種類のとうがらしが
はたしてさいたま市でどんなとうがらしが栽培されているのか。そこには赤だけでなく、黄色、緑と色とりどりのとうがらしが実っていた。
スコッチボネット
ほおずきのような形の真っ赤な「スコッチボネット」。
スパングルス
指先ほどの大きさの紫色の実で甘い香りのあと辛さが広がる「スパングルス」。
サンタ・フェ
メキシコ原産の黄色い「サンタ・フェ」。
(左)ビキーニョ(右)ハラペーニョ
辛みがほとんどなく、ブラジルではピクルスとして食べられるという「ビキーニョ」や多くの人がきいたことがあるだろうメキシコの「ハラペーニョ」。
見た目はどれもかわいらしくカラフルなアクセサリーのようにも見える。生でも食べられるということでハラペーニョやビキーニョを試食させてもらうと、どれもみずみずしく爽やかな辛さを感じた。
この農場では、およそ7000平方メートルの畑で12か国およそ40種類のとうがらしが栽培されているそうだ。
十人十色な農業を!
農場を経営しているのはサカール祥子さん。サカールさんは大学院を修了後、埼玉県内のNPOなどで働いたあと、2021年、仲間と合同会社「十色(といろ)」を立ち上げとうがらしの農場を始めた。
カラフルなとうがらしを生産しているだけに会社名がぴったりだなと思ったところ、この名前を付けたのは別の理由からだという。
サカール祥子さん
「私たちの農業の可能性っていうのをひと言で表したのが十色という名前なんです」
「農業の可能性」というのは、一体どういうことなのか。
収穫するのは十人十色な人たち
実際に収穫している様子を取材していると、その理由がわかった。
午前9時、車に乗ってやってきたのは就労を支援する施設に通う知的障害のある人たちだった。施設の職員と大きさを確認しながら、実ったとうがらしを一つ一つ丁寧に収穫していく。
就労を支援する施設に通う人
「辛いのは嫌いだけど、とうがらしはかわいい」
「とうがらしを採りながら話をするのが好き」
引率する施設の職員
「より多く収穫すると工賃がもらえる。目に見える形で自分の仕事が評価されるっていうのが一番うれしいんじゃないかな」
職員によると、施設内で請け負っているほかの作業より工賃が高く、さらに収穫した分に応じて、追加の工賃が支払われているという。
また、別の日には、路上生活を経験したことがある男性が収穫にあたっていた。いわゆる「派遣切り」で仕事や家を失い、2024年7月からこの仕事を始めたという。男性は、腰をかがめて黙々ととうがらしを収穫していた。風が冷たい日にもかかわらず男性の額は汗ばんでいた。
男性
「ここ何年かは仕事がなく、ボランティアの人からこの仕事の紹介を受けました。こうやって人と関わりながら仕事をすると、自分の力で前に進んでいると感じられます。前より前向きに明るくなったとも思います。ちゃんと自立してやっていけるようになりたい」
このほかにも学生、子育てのためフルタイムでは働くことが難しい主婦など、この農場では、さまざまな状況にある人がさまざまな働き方で収穫に携わり、色とりどりのとうがらしが作られていた。まさに十人十色といってよいだろう。
サカール祥子さん
「障害があってもなくても、長時間働けない人でも、どんな人でもウェルカムで一緒に働けたらうれしいなと思います。農業という産業には、さまざまな人を活躍させる力や可能性があると信じています。『十色』という名前には私たちの農業に関わる人たち、それぞれの色を尊重していきたいという思いを込めているんです」
農福連携とは
サカールさんのこうした取り組みは「農福連携」という。農業と福祉が連携して、多様な人たちが社会に参加する試みだ。
農福連携は、もともと国が障害のある人の自立に向けて、高齢化などで担い手不足に悩む農業分野での就労に取り組んでもらうため進めてきた施策だ。
とうがらしの収穫時期は6月から11月と1年の半分ほどとほかの野菜と比べて長いという。加えて、収穫期には次々と実がなるため、手早く摘み取る必要があるが、実が小さく繊細なので手作業で丁寧に行われなければならない。そのため検品や袋詰めにも時間がかかる。
収穫時期には、1日あたり8人の労働力が必要になり、サカールさんの農場では、4月の苗を植える時期から収穫が終わる11月末までのべ540人を雇用している。
ほかの農作物より収穫の時期が長い分、より人手を必要とする点は、農福連携を目指す上でのメリットだという。
サカール祥子さん
「利益を生んで継続できる仕組みを構築して、誰もが『稼げる農業』を目指しています。2024年は台風の影響で赤字になりましたが、2025年には黒字になる見通しです。利益を増やすために、今後栽培するとうがらしの品種も増やしていきたいし、農地も広げていきたい。ここ見沼たんぼでも農業の担い手の高齢化によって耕作放棄地が出てきているので、私たちの取り組みによって耕作放棄地を減らすことができれば、農業そのものを次の世代につなげていくこともできるのではと考えています」
販路拡大、その先は青森県!?
農場を始めて3年、生産はおおむね順調だったが、苦労したことがあった。それは販路の開拓だ。
多くの人の雇用を確保するには、販路を拡大させることが重要だが、日本では香辛料のとうがらしは乾燥して売られているのが主流で、なかなか買い手が見つからない。せっかく採れたとうがらしを無駄にしてしまうこともあったという。
地元、埼玉県内のスーパーや飲食店などで地道に営業活動をして販路を拡大してきたが、2年前、大口の新たな買い手を見つけることができた。なんとさいたま市からおよそ660キロ離れた青森県三沢市のスーパーだった。
私もスーパーに行くと、サカールさんたちが育てた色とりどりのとうがらしが1袋200円から400円ほどで売り場に並べられている。
カメラを構えていると、次々と外国人が手に取って買い求めているではないか。
アメリカ人夫婦
「スパイシーな料理を作るのに使っています。生のとうがらしの方がおいしく感じます」
フィリピン人の客
「スープに辛いとうがらしを入れます。これから寒くなるから体が温まります」
米軍基地がある三沢市。基地の関係者、それに技能実習生も生活していて生のとうがらしを求める人が少なくないそうだ。
このスーパーでは、系列のおよそ20店舗でもサカールさんたちのとうがらしを取り扱っているという。従業員のアイデアで珍しい生のとうがらしを販売しようと取り扱いを始め、市場を通じて関西から仕入れていた。
サカールさんの農場では、さいたま市から新鮮なとうがらしを直送してくれることから取り引きを始めたそうだ。
ただ気になることがあった。私は2時間ほど売り場の前で張り込んでいたが、日本人は1人も買っておらず手にすることすらなかった。生のとうがらしに親しみがない日本で、どうやってサカールさんは販路を拡大しようとしているのだろうか。
とうがらし文化を広めたい
12月、サカールさんのとうがらし畑の横には大勢の人がいた。テキーラを飲みながらバーベキューを楽しむ催しを企画したのだ。ステーキやローストビーフとともに出されたのは…。
「ハラペーニョポッパー」。
「ハラペーニョ」を縦に切り、中にチーズを詰め、ベーコンで巻いたあと、炭火で焼いたメキシコ定番の料理だという。
「辛い」「“辛うま”でとてもおいしい」といった声が聞かれ評判は上々のようだ。
サカールさんは、販路拡大のためにはスーパーや飲食店などへの営業だけでなく、生のとうがらしを使うという文化自体を広げていく必要があると考えている。これまでにこうした催しに加えて、収穫体験のイベントも開催してきた。
サカール祥子さん
「世界にあるとうがらしはおよそ3000種類にもなります。日本も含めて世界各地にはとうがらしを使ったさまざまな料理があって、それぞれの国の人が、とうがらしの使い方だけで話が盛り上がっているのを見てきました。販路の拡大には、まず生のとうがらしを食べるという文化を広げていかないといけない。そのためには、こうした食文化を楽しんでもらう雰囲気を作っていくことが必要だと感じています」
加えて、サカールさんの会社では埼玉県や地元の漬物会社と協力して、地元で採れたたまねぎととうがらしを使った漬物を開発中だ。さまざまな種類のとうがらしを使って辛さの異なる商品を販売する予定だ。
さいたま市で作られた色とりどりのとうがらしは、さまざまな人に職場を提供し、新たな食文化をも日本に広げようとしていた。農福連携から始まったサカールさんのスパイシーな挑戦は始まったばかりだ。
取材後記
さいたまでとうがらし?という思いから始まった今回の取材。
はじめは秋の美しい「見沼たんぼ」に映える「カラフルなとうがらし」を映像に収めようと考えていたが、十人十色、さまざまな人たちが戦力として活躍している農場、そして青森県での消費の現場、さらに新たな食文化を構築するための取り組みと取材は多岐にわたるものだった。
福祉という観点だけでなく「稼げる農業」を目指すサカールさんの取り組みがどうなっていくのか、引き続き取材していきたいと思う。
(1月7日「首都圏ネットワーク」で放送)
ビキーニョにハラペ―ニョも さいたま見沼たんぼで約40種のとうがらし栽培 農福連携で販路拡大も | NHK | WEB特集